その昔、図書館は一部の人だけの物だった。
本自体が高価な物で、社会の上層の人や学者の物。
寺子屋で庶民が字を習ったり、庶民向けの本もあったけれど、
恵まれた人たちだけ。
「本なんか読んでる暇があったら、働け」
というのが一般庶民の考え方。
本を読んだり、皆で本を共有するという考えは存在しなかった。
明治の文明開化でも、公共図書館ができたのは都会だけ。
第二次世界大戦で日本が敗戦し、
アメリカの占領軍の指導によって、
日本全国に公共図書館、学校図書館が、やっと作られた。
アメリカでは、図書館は必要不可欠の施設。
文化の基本で、いろんな情報がもらえて、
人々の生活に深く結びついている。
専門職としての司書も評価されていて、制度も確立している。
そこで、GHQも最初そう指導したが、うまくいかなかった。
昭和28年(1953年)「学校図書館法」制定。
第3条で、学校図書館の設置を義務付け、
第5条で司書教諭の制度を定め、
ほとんどの学校に学校図書館が設けられた。
しかし、附則第2項、
「学校には、当分の間・・・司書教諭を置かないことができる」
により、司書教諭は配置されなかった。
日本の学校は、低予算で画一的な大量生産。
大人数クラスで一斉授業で、予算なし。
その優れているところもあるんだけれど、ダメなところもある。
薄っぺらな教科書とノート、黒板、教師さえあれば、
大人数でも授業が成り立つというもの。
それに対して、GHQの指導の教育方法は、
図書館もいれば、資料も教科書も何冊もいる。
クラスは少人数。そうなると教師の数も増える。
つまり、お金がかかる。
でも、予算が無いから、その環境は整わない。
だから、画一的な一斉授業にならざるを得ない。悪循環。
学校は、体育館とグランドピアノにプールなど、
保護者に見栄えのいいものにお金をかける。
図書館や、人材など、見えないところには、お金をかけない。
話を元に戻して、戦後、日本の経済が復興しても、
学校図書館には何の策も取られなかった。
公共図書館は、途中「市民の図書館」という意識改革があったが、
学校図書館は、ただの本置き場。ひどいところでは、
ずっと鍵がかかって、子どもには入れない場所。
・・・。これは私の推測。
政治的な意図もあるんじゃない?
右か左か分からないけれど。
「図書館」というものを行き過ぎた改革と考えたとか。
それとも、国民に情報を扱う能力を与えたくなかったとか。
国民に知られてはマズイことがあったとか。
愚民化教育とか・・・。
・・・さあ、どうなんだろうね(^_-)
平成9年(1997)「学校図書館の一部を改正する法律」により、
「政令で定める規模以下の学校(11学級以下の学校)」を除き、
「当分の間」は、平成15年(2003)3月31日までとされた。
「当分の間」の、なんと長かったことか。
2003−1953=50、50年も。(~_~;)
で、今は12学級以上の学校には司書教諭が配置されている。
実際に動いているかどうかは、私は知らない。
というわけで、最近では、
子どもと読書の関係がクローズアップされ、
情報活用能力の育成が叫ばれ、読み聞かせ活動などが、
行われるようになりました。
学校図書館に目が向けられるようになってきたのは、
ごく最近のことなのです。
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